マーリーの電車

女性の方々のお尻や胸が気になって仕方がないのはオレがセクシー・セブンティーンなのとチェリーまっ逆さまだからなんだろう。
最近村上龍に縁がある。何と無く借りたウォーホルの画集、大分前に買ったがまだ未読だった五木寛之じいちゃんのエッセイ、昨日今日読んでいるどちらにも独特な解説を書いていたり、久々に面白い本やったと友人ベーシストが今日貸してくれたのも「トパーズ」だった。
TSUTAYAにCDを返すため終電ギリギリの電車に乗る。どこか車内アナウンスも投遣りな雰囲気がした。
帰りの電車を待つ間ラッキーをふかす、回りにはただ情けなさを際立たす為だけのように写っているようだけど、たまにしか吸わないからこのクラクラを毎回味わうことができる。
この気分でキンクスを聴きたいなって思ったけど、急いで家を出た時持っていくものが五つ以上あると必ず一つ忘れる性がいつまで経っても切り取れないまま。
世界を下らなくしてんのは誰のせいなんだろうオレのせいなんだろうって言うのはわかっているようないないような。
この気取りきった雑文のタイトルを煙草と平日最後の日の倦怠感で虚ろな指先で考えた。「ラスト・トレイン」、ひねりの少ないものは歌詞にしろセリフにしろ格好悪いと思う、「マーリー・トレイン」→「マーリーの電車」、意味性はこのさいどうだって良いのさ。


悩めよ、少女。
あんたは世界を明るくしようとしている方の人間だ。生きている方の人間だ。悩めば良いし、泣けば良いのさ。